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こんにちは、皆様。日常のちょっとした瞬間に秘められた魅力に気付いたことはありますか?実は、私たちが普段何気なく過ごしている日常には、色々な体験が詰まっています。仏教の教えによれば、これは「唯識」という、直接の知覚によって得られるもの。現代では、これをマインドフルネスという言葉で表現しています。今回は、この唯識を通じて、日常の美しさを再発見する方法について探っていきましょう。

我々は日常で多くの思考に囲まれています。これから何を食べよう、あの人はどう思っているのか、などと考えながら過ごします。しかし、これらの思考はしばしば、現実の美しさを見逃させます。例えば、散歩中に美しい花を見つけても、頭の中で何かを考えていると、その美しさが感じにくくなります。

 

唯識と直接の知覚の力

 

それでは、直接の知覚とは何でしょう。例を挙げてみましょう。回覧板を隣の家に渡しに行くシンプルな行動を考えてみます。通常、この行動は、ただのルーティーンとして感じられるかもしれません。しかし、唯識の視点からこの行動を見ると、手の感触、足音、風の香り、隣人の顔の表情、声のトーンなど、多くの豊かな体験が詰まっています。

 

唯識 : 抽象と具体のバランス

抽象的な思考は、適切に使えば、実際には非常に有用です。例えば、文章を書く際に、適切な副詞や形容詞を使うことで、文はより面白く、豊かになります。しかし、これがコントロールできないと、抽象的な思考は日常の美しさを見逃させることにつながります。つまり基本的には具体を一人称で突き詰めた状態が問題が起こらず、景色も美しく、楽であると言えます。

唯識と意識の解放

概念や判断から解放されることで、直接の知覚の力を体験できます。この視点では、世界は新しい、豊かな色彩で描かれます。毎日のルーティーンも新しい体験として感じられ、生活がより満足のいくものになります。

唯識とその実践: 日常の活動を新しい視点で見る

この知覚を実践する方法は簡単です。日常の活動、例えば散歩や料理、読書などを通じて、5感を研ぎ澄ませ、直接の知覚を体験してみてください。これにより、日常の瞬間瞬間に秘められた美しさや新しい発見が広がります。

唯識:直接知覚とクリエイティビティ

直接の知覚は、クリエイティビティと表現にも影響を与えます。思考や概念に囚われず、直接的な感覚と感情を表現することで、作品はより豊かで魅力的になります。例えば、隣人に回覧板を回す動作一つとっても、一人称でマインドフルでいると、”家のドアを開けると、秋の爽やかな風が顔に当たり、軽いざわめきが耳に届きます。ドアを閉じ、隣の家に向かって歩き始めます。足元の葉がサクサクと音を立てる。歩道に降りると、アスファルトの固さが足底に伝わります。隣の家に到着すると、木製のゲートを開け、小石がキリキリと音を立てるのを感じます。回覧板を持ってドアベルを押し、隣人が出てくるのを待ちます。ドアが開き、隣人の親しみやすい笑顔が見え、回覧板を渡します。隣人の手が回覧板を取ると、ありがとうという温かな声が耳に入ります。そして、お互いに笑顔で別れを告げ、私は家に戻ります。” というように思考を落としたはずが、逆にコンテンツが増えたり、内容が良くなるということは起こります。実際の体験としてもこれに近くなる、ということですね。

唯識:結論

直接知覚の力は、日常生活を豊かにし、クリエイティビティを刺激する素晴らしい道具です。日々のルーティーンの中でさえも、新しい発見と美しさが隠されています。この視点を持つことで、私たちの周りの世界は驚くべきものに変わり、日常生活は新たな喜びと満足感をもたらしてくれます。
唯識の視点から、日常を豊かに感じ、その瞬間瞬間を大切に生きることができます。抽象的な思考も有用ですが、コントロールし、適切に利用することが大切です。そうすることで、日常のシンプルな瞬間にさえも、新しい発見と喜びを見つけることができます。
さあ、今日からは、日常の小さな瞬間を新しい視点で見てみましょう。そして、その美しさと驚きを感じながら、豊かな日常生活を楽しんでください。それでは、素敵な日々をお過ごしください。